U先生の【保育あれこれ宝箱】

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【保育・虐待】1歳児逆さ吊り 保育士による虐待 静岡 裾野市

「早く知りたかった」保護者も怒り…保育士3人が1歳園児の頭叩き、宙づりに 容姿からかう暴言も―静岡・裾野市の保育園(静岡放送(SBS)) - Yahoo!ニュース

 

痛ましい事件が起こってしまいました。

 

世間一般の方々はきっと、

 

「有資格者なのに信じられない」

「ありえない事件で、園が信頼できない」

「他の園に行ったら同じことをするのでは?」

 

などといった意見が多く寄せられるであろうことは理解できます。

 

 

同じ保育士の立場からしても、

とんでもないことだし、

3人の保育士がしたことが、次々に明るみになるにつれて、ショックを隠しきれません。

 

しかし、僕は、

「可能性としては、到底ありえない、起きることが信じられない」という感想には至らず、

「あってはならないことだが、決してありえないことではない」と思いました。

 

 

その理由を述べていきたいと思います。

 

民間の保育園は、公立ほど転勤や人員の異動がありません。

 

人員の固定が続くと、一部の発言力のある個人の価値観が、その園全体の代表的な意見としてまかりとおる危険性が高まりやすくなります。

 

つまり、園独自の価値観やルールが横行しがちです。

 

 

いい面と悪い面があります。

 

メリットとしては、

最先端のいい保育の手立てが取り入れられやすい、

保育の内容改善などの変化のスピードが早い、など。

 

 

デメリットの代表的なものが、今回の事件そのものです。

 

発言力のある保育士が全てを決めることになると、その保育士に対して意見できる者が少なくなり、やがて誰も何も言えなくなります。

 

発言力があり、現場を回す力(望ましい保育かどうかは別として)のある人は、園長など上司も重宝がるので、ますます影響力が大きくなります。

 

周囲の者は、本当はおかしいと思っていても言い出せず、長いものに巻かれて流される方が安易ですごしやすい。

 

そのような状況が続くと、どんどんエスカレートして、もはや子どもの最善の利益など度外視た、今回の事件のような保育がまかり通ってしまう。

 

そんな状況が生まれていたのではないかと想像します。

 

つまり、これはどこの保育現場にでも起こりうるし、誰にでも巻き込まれる可能性のある事案であることは間違いありません。

 

現在の保育の現場では、そのような危険性をはらんでいるのです。

 

おかしいと思うことはしっかりと自分の周りの信頼できる人に伝えるなど、勇気をふりしぼってアクションを起こせるようにしなければいけません。

 

 

そして、その保育士たちの振る舞いは、園長はそれとなく把握していた可能性があります。

 

しかし、園への貢献度が高く、中心的な役割を担っていただろうその保育士たちを、指導できずに野放しにしていた可能性が捨てきれません。

 

なんにせよ。

これから詳しい調査が行われると思われるので、注視していきたいと思います。

 

 

すべては子どもたちの最善の利益のために。

 

今回は、内部通報により、遅まきながらも子どもたちの安全が保たれたようです。

 

まずは不安を抱えている保護者に詳細の説明と、通報者の安全確保とともに、繰り返さないよう可及的速やかに具体的な改善策の策定が必要でしょう。

 

他人事と思わず、僕もこの通報者のように、勇気ある行動をとれるようにしたいです。

 

 

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

【子育て・教育】子は宝 教育費無償化 多子世帯支援 子は宝

news.yahoo.co.jp

出生率

 

一定期間の出生数の、人口に対する割合。一般に、人口1000人当たりの、1年間の出生児数の割合をいう。日本では毎年10月1日現在の人口を基準とする。

 

出生率がどんどん低下し続けています。

詳しくは、ニュースの記事にゆずります。

 

 

さらには、少子化が悪化の一途を辿っています。

 

 

この何十年も、「少子化」「少子化」と機会があれば声高に叫ばれていました、叫ばれていたにも関わらず、全く改善の兆しがありません。

 

これはこれまでの政策がうまくいっていないことを示唆しています。

 

抜本的に、今までよりもはるかに強力な対策が待ったなし!の現実を突きつけられました。

 

 

 

 

実際に子育てをしていて感じることは、わが子がこの先、この日本で幸せに暮らしていけるかどうか不確かであること。

 

1番の懸案は、やはり教育費の問題ではないでしょうか。

 

 

 

 

子ども一人当たりの教育費は、1000万円とも言われています。

 

出産一時金を増額する話も出ているようですが、子どもは出産すればケアがいらないわけではありません、ここからがスタートです。

 

 

最初に手当てをもらっても、その後が続かなければ、もう一人、あともう一人と子どもをもうけようとは思えないのは至極当然です。

 

どうして、そこに気付けないのか、気づいているとしたらなぜ国としてケアしていけないのか疑問です。

 

優秀な方が、政治家や官僚にはいらっしゃるでしょうに、子育てしている政治家や官僚の方も大勢いらっしゃるでしょうに、そこへ手当がないのは、意図的な何か他の外的要因が阻害している可能性すら感じます。

 

 

それくらい、教育費の問題は深刻であり、待ったなしの分野ではないかと思います。

 

かなり後手後手に回っていますが、今この瞬間からすぐにでも考え直していただいて、教育費の無償化、あるいは補助金、特に多子家庭への援助を手厚くしていただきたい、全子育て世帯がそのように思っているはずです。

 

やるなら、今でしょ!

子どものためならがんばって働きますので、どうか国としてもフォローしてください。

よろしくお願いします。

 

切実な訴えでした。

 

【保育・子育て】子育て世帯 米10kg アリ?ナシ?

news.yahoo.co.jp

 

 

わが家は、子育て世帯です。

 

なので、正直、米10kgがもらえるのは、とても助かります。

 

米は、ある程度保存も効くし、みんな米はよく食べるし、買うとなると重いし…。

 

今回の大阪府の支援には好意的な意見です。

 

それはそうですよね、もらえるんだから。

 

胎児も、10kgもらえるそうです(笑)

 

 

 

 

世の中にはいろいろな立場の人がいます。

 

今回のニュースは、

子育てしていない経済的に困窮している世帯の人などは、おもしろくないでしょう。

「うちにもお米ください」となるのは当然だと思います。

 

あるいは、

「米じゃなくて現金がいい」という意見もあるでしょう。

 

現金の方が重たくないし、現金で好きな銘柄のお米も買える、お米には困っていないから、他の食品などの用途にも使える…など。

 

知事としては、「子育て支援」なので、米ならば直接子どもに届きやすいのではないか、という考えのようです。

 

 

また、

「どうしていつも子育て世帯ばかりなのか」という意見もあるようです。

国策として少子化をどうにかしたい、ということで補助金などもあるようです。

 

それにそった政策であろうとは思いますが、毎回子育て世帯を優先されたら、不満も言いたくなるのは理解できます。

 

 

 

支援をもらえる僕が言うのは、客観的な第三者ではないので、フェアではないかもしれませんが。

 

素直に、この子育て支援の政策は、いいことだとおもいます。

 

よし、まずは子どもが優先だ、という気概は、他の政治家も見習ってほしいです。

 

次世代を担う子どもたちを育てないと、日本は成り立っていかないのは誰もが理解していることだと思います。

 

子どもにはいくら金をかけてもかけすぎなんてことはないと思います。

 

子どもはやがて育ち、大人になります。

その大人が次の子どもを産み、育てていくのです。

 

社会は循環していて、未来へ投資していかないと、発展していけません。

 

大人は、自分の努力で少しでも自分の生活をよくしていける可能性があります。

子どもは、大人や環境に依存している割合がおおきいので、自助努力には限界があります。

 

子どもは、大人や社会が守り育てていく存在です。

 

子育て支援を受け入れられないと主張する人が増えているのだとしたら、今の日本は自分のことで精一杯で、満たされていない大人が増えている証拠でもあるでしょう。

 

だからこそ、未来の日本を少しでも豊かにするために、今こそ子どもを支援していくべきだと、保育士の立場から考えます。

 

かわいい子どもたちの成長を、温かく大人が見守れるコミュニティが少しでも広がってくれればいいのに、と思います。

 

 

最後まで読んでいたただいて、ありがとうございます。

 

米は、新米がもらえるのでしょうか?(笑)

【児童支援・子育て】支援学校の不適切な指導 プレスリリースの必要性の是非

「先生の給食を勝手に食べました」大阪府立の支援学校で、教諭が小1児童の背中に貼り紙。20分間校内を歩き回り、訓戒処分に(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース

 

 

 

いろいろと考えさせられるニュースです。

 

記事を読むにつれ、いくつか違和感を感じました。このニュースの根底にある問題点は一体どこにあるのでしょうか。

 

 

 

プレスリリースの必要性の是非

 

吉村知事が「不適切な指導」とした今回のことは、2020年に起きたことでした。

 

実に2年も前のことです。

 

 

2020年11月に保護者に謝罪し、12月から病気で休職したため調査が中断されたとのことで、この9月に処分が決定したのでプレスリリースしたというところでしょう。

 

教育委員会から訓戒処分もあり、既に教諭は依願退職をしているとのことです。

 

 

プレスリリースの必要性の是非が問われます。

 

 

犯罪が行われたわけではなく、不適切な指導があり、教諭が謝罪もし処分も下されている。世間に公表すべきものかどうか議論の余地はありそうです。

 

公表しないことで「隠蔽体質」などと揶揄されることを未然に防いだという、穿った見方をしてしまいそうです。

 

 

ただ、若い20代の教諭が、今回のことにより間違いに気づきこれからの指導をどう向上させていくか、その道が閉ざされてしまいました。

 

となると、若い教諭への指導の仕方などは、どうなっていたのか、その点掘り下げて検証すべきだし、そこに一種、闇の深さを感じます。

 

 

 

保護者からの連絡で発覚

 

指導内容に関して、事実をそのまま捉えると、当然不適切であるし、あってはならないことです。

 

ただ、発覚したきっかけが、たまたま校内にいた保護者によるものだったという点がひっかかります。

 

その保護者がもし、目撃していなかったら、公になることがなかったかも知れない、ということの方が大きな問題です。

 

 

 

児童の背中に貼り紙をし、校内を歩かせているということは、少なくともこの教諭は、「この指導は誰に隠すものではなく校内には堂々と見せられるもの」と認識していたことがうかがえます。

 

ということは、この学校にはこの程度子どもの人権を踏み躙る指導が横行していたと考えるのが自然です。

 

たまたまこの若い教諭が、たまたまこの日に「貼り紙指導」をしていたのを、たまたま見られただけで、もしかしたら他の職員も同じようなことをしていたかも知れません。

 

 

 

この学校において、どのような指導が日常的に行われていたのか、学校関係者以外の第三者による調査が必要なことは、明白です。

 

 

なぜなら、発覚したきっかけが保護者によるものだからです。

 

 

これは想像ですが、学校内からの内部通報による発覚では、きっとプレスリリースにまでは至っていないでしょう。

 

学校内で適切に処理されて、教諭に指導があれば、次の支援につながるのでまだマシです。

 

 

不適切な指導自体がもみ消されて、なかったことになる可能性もあります。

 

 

最悪の事態として、これが「不適切な指導」という認識のないまま、今現在も横行していた可能性もあります。

 

 

 

 

考える機会として受け止める

 

この支援学校という空間では、まことしやかに、日常的に、継続的に子どもの人権侵害が行われていても、自浄作用が働かないおそれがあることが、今回のこのニュースで判明してしまいました。

 

学校関係者のみならず、児童支援に、あるいは教育、言うなれば子どもに関わるすべての大人に、今一度襟を正し、自分の振る舞いを省み、検証するチャンスを与えた、そういう意味ではプレスリリースする意義があっただろうと思われます。

 

当事者のお子さんとご家族が悲しい思いをされたことは、十分に受け止める必要があるのは大前提です。

 

その上てま、ここまで言及する解説などもあれば、もっと多くの人が気づき、ニュースを世に広める効果も高まるのに、とても惜しいと思い、今回ブログに書いてみました。

 

 

少しでも多くの人に気づいていただき、そうだそうだと賛同していただく、あるいはいやいやそれはおかしいですよ、などと議論が巻き起こることが、僕の本望です。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

【保育・子育て】小倉将信こども政策担当相 園にも責任があるとしたら大臣の発言は無責任

2歳児死亡「園の責任は重い」「負担軽減へ努力」 小倉こども政策相:朝日新聞デジタルwww.asahi.com

 

2歳児、車内置き去り死亡事件。

 

小倉将信こども政策担当相は令和4年11月15日の閣議後会見で「保育園の方で登園管理をしてくだされば救えた命だと思っている。園の責任は重い」と述べました。

 

会見の全文など、検索してみましたが出てこなかったので、いろいろなニュース記事を見比べて、大臣の発言について考えてみました。

 

 

わざわざ言うべきことではない。

 

「園の責任は重い」。

 

この言葉だけは、保育の現場に携わっている人は大臣の口から聞きたくなかった言葉ではないでしょうか。

 

今さら何を、言わずもがな、現場の人たちは毎日毎日、考えています、思っています。

 

命を預かる仕事だと。

 

責任のある仕事だと。

 

 

いわばこども政策の長である大臣にわざわざ言われなくても分かっていることです。

 

 

彼は、全く現場のことを知らないし、考えてないし、想像力も働かない、ということを世間の保育関係者に知らしめてしまいました。

 

完全にセルフプロデュースの失敗です。

 

自己保身しか考えてないのがありありと分かります。

 

 

そして、慌てて全国に、自園の児童の欠席確認連絡の徹底を呼びかけました。

 

これが一体何を意味するか、きっと大臣は想像さえできていません。

 

全然わかっていない大臣のために、分かりやすく説明したいと思います。

 

 

【欠席確認連絡】の難しさ

 

欠席確認連絡。

これがいかに手間のかかる大変なことか。

 

出席確認はすぐにできます。

来ている子どもを名簿で照合すればいいだけです。

 

 

問題は、来ていない子どもが欠席かどうか確認するということです。

 

 

仮にある保育園で、

9:30までに欠席の連絡をしてくださいと、保護者に呼びかけていたとします。

 

 

例えば、いつも9:30をすぎて登園するご家庭はどうしますか?

 

来るだろうと思っていたら、来なかった、待っていても来ない、いつも登園する時間を過ぎても来ない、と思ったらいつもより大幅に遅れて登園してきた。

 

遅れるときは連絡をしてください、と園はお願いするしかありません。

そして、来ない間は誰かが常に、来るのか来ないのか気にしていないといけません、なんと生産性のない業務でしょうか。

 

 

 

例えば、9:30を過ぎても登園しないので、母親に連絡しました。仕事中なので電話には出られません。早急に折り返し連絡をもらえるように伝えます。父親に電話しました、電話がつながらず連絡がとれません。

 

いつまで経っても連絡がありません、そうこうしているうちに、15:00ごろ父親から電話があり、仕事が休みなので自宅で見ますとの連絡がありました。

 

 

このようなケースが同時多発で起こる可能性があります。その間、何度も連絡を試みるために保育士の手が割かれ、本来子どもの保育に充てられる人員が減ることになります。

 

 

アプリやメールなど、デジタルツールを導入しているところもあるでしょう。

 

しかし、いずれにせよ、保護者の協力がないと成り立ちません。

 

欠席の連絡は、保護者発信の保護者任せになります。

 

保育士から、「明日は休みですか?」と聞くのはとてもハードルが高いです。

 

「休めってことですか?」と誤解される可能性があります。

 

 

つまり、

さまざまな理由により、

この点において保育士に負担を求めるのは筋が違うと、僕は確信しています。

 

 

「園の責任が重い」と言う前に。

 

「園の責任が重い」という前に、大臣よりも毎日毎日子どもに密接に関わり、一所懸命保育している保育士が、どうして欠席連絡の確認を失念してしまうような状況になっているのか、想像力を働かせることをしない大臣の方が、よっぽど責任が重いです。

 

 

園にも責任があるとしたら、それ以上に大臣の発言が無責任です。

 

 

保護者の安全確認の責任が第一義である、との発言もあったようです。

 

それならば、

  • まず保護者が欠席連絡を確実にするということを徹底できるように啓発するだけではなく、入園の際に「連絡なくトラブルがあった場合は園は責任を取らない」とする同意をとる

 

  • 出欠の連絡を、手間と時間のかかる電話ではなく、アプリなどのシステムを早急に準備し現場に導入する。そのシステムを管理する人間の配置やそれにかかる経費について補助金を充てる

 

これくらいの対応をした上で、これまでよりもさらに注意深く、子どもの命を預かる責任を再度確認するのならば、保育士の方々は素直に受け入れることができるでしょう。

 

 

最後に…。

 

保育に携る人たちは、今回の事故でみなさん胸を痛めていると思います。

 

他人事ではなく、明日は我が身に起こることと、戦々恐々としているでしょう。

 

そんな保育士に寄り添えない大臣が、トップに立つのはとてもやるせないです。

 

やはり、現場を知る人間を霞ヶ関に送れない、保育士という職業の社会的地位の低さを、今回の発言からも直視せざるを得ませんでした。

 

賃金も上がらない、職場環境が改善しないなど根本的な理由はここにある気がします。

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

 

【子育て・車・置き去り】悲しみしかない ヒューマンエラー 解決策は日頃の密なコミュニケーションか

車内に9時間置き去りか、2歳女児死亡 保育所も欠席の安否確認せず | 毎日新聞mainichi.jp

 

ヒューマンエラーとは

 

また、悲惨な事故がくりかえされてしまいました。

 

 

 

ヒューマンエラーとは、人間が思い違いや確認不足によって起こす、ミスや事故のことです。

 

ヒューマンエラーには、うっかりミスのような小さなものから、今回のような命の危険のある深刻な状況をもたらすものまで、幅広い種類があります。

 

大別して、意図して起こるものと意図せずして起こるものがあります。

 

 

 

今回の事故でいえば、

父親の証言により、

次女を保育園に預けたものと思い込んで、

車内に忘れていたというのが事実でしょう。

 

その証拠に、

次女を保育園まで迎えに行ってから預けていないことに気づき、自家用車の中で次女を発見していることからも明らかです。

 

自宅に帰った時、

自宅を出る時、

車内を少しでも注意深く見ていれば、

もっと早くに発見できたかも知れません。

 

 

 

 

ヒューマンエラーの原因は

 

原因は、先入観や固定観念などの認知ミス。

 

あるいは、見落としや確認ミスなどの不注意

 

または、心身の機能低下によるもの、などが考えられるでしょう。

 

 

 

今回の事故では、

次女は保育園に預けた、という思い込み。

 

自宅に帰った時、自宅から迎えに出発する時、車内を軽く見回していれば、という確認ミス。

 

長女と三女を預けた時に、

重大な考え事をしていたか、

寝不足やあるいは体調不良で、

本来の身体機能よりも低下していた可能性。

 

などが考えられるでしょう。

 

 

 

ヒューマンエラーの防止策とは

マニュアルの作成や、過去のヒューマンエラーをリスト化、危険予測のトレーニングなど様々な対策が考えられます。

 

 

今回の事故について考えてみます。

 

 

最大の原因は、

父親の次女を預けたという思い込みです。

 

 

日頃から家族と連絡を取り合って、

「子どもを預けたから仕事に行く」などと、

確認のメッセージを送り合うことなどでも防げたでしょう。

 

長女と三女を預けて、次女を預けるというルーティンが、この日に限って何かのアクシデントやトラブルで崩れてしまった可能性もあります。

 

何らかの事情により、最初の保育園から次の保育園に行く間に、予期せぬ何かが起きてしまいルーティンが崩れ失念した。

 

そして、運転席から見えにくい3列目のシートで、たまたま寝入っていた次女の存在も、同じように失念してしまった。

 

残念ですが、考えられなくはないです。

 

 

そして、園側にもヒューマンエラーが発生しています。

 

連絡がなく登園してこない子どもについては、園から連絡して確認するというのが、マニュアルとしての手続きのようです。

 

これも、忙しさのあまり失念していた、ということです。

 

これについては、本当に忙しかっただけなのだろうか?と疑念を抱きます。

 

保育士の立場から考えると、当日が土曜日というのがポイントだと考えます。

 

平日とは違い土曜日は、

登園する子どもの数が減ります。

土曜日は「登園します」と言っても急に休みになって連絡なく休む家庭も、少なくはないと思います。

 

このご家庭が、普段から休む時にまめに連絡するご家庭であったかどうかもポイントです。

 

普段からきっちり連絡する家庭であれば、

「あれ?今日は来るっていってたのに、まだ来ないのはなんだかおかしい」と気づいた保育士がいた可能性もあります。

 

保育士の立場から考えると、

園側から連絡できれば防げた事故であるのは確実である上に、こういう事故を防ぐためにあるマニュアルが守れていない、どの職員も無念であるに違いありません。

 

 

 

おわりに…

 

この事故の1番の責任は、言わずもがな、自分の子どもの所在を失念した父親にあります。

 

そして、連絡なく休んでいる家庭に連絡すべきというマニュアルがあるにも関わらず、連絡をしなかった園側の責任も重大です。

 

 

今回のこの記事で1番言いたいことですが、

ヒューマンエラーは、絶対に起きるので、複数の対策をする、あるいは機械などのツールを使うしか方法ありません。

 

大切なのは、

【ヒューマンを過信してはならない】

【危険予測を十分に行う】

【コミュニケーションを密にとる】

ではないでしょうか。

 

ご家族の、特に父親の胸中は押しはかることさえもはばかれます。

 

月並みですが、

亡くなったお子さんの命を無駄にしないように、残された私たちが再発防止策を一所懸命に考えて拡散させることが、唯一してあげられることなのではないでしょうか。

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

【子育て・保育】保育士の職責 保育士の最大の仕事 背中で語る

子どもは私たちと同じ「人」

 

子どもは、

立派な1人の人間であり、

人権も保障されるべき、

尊い命ある存在です。

 

 

それでいて、

この世に生を受け、

まだほんの数年しか経っていない、

未熟な存在です。

 

 

私たち大人は、

子どもの成長を見守り、

さらなる成長を促し、

同時に、社会全体で守り、育てていかなければなりません。

 

 

自分の子どもであっても、

親が何をしてもいいわけではありません。

 

 

本人の意思を尊重し、

できる選択はさせる。

 

「親ガチャ」なんていう言葉もありますが、

子どもが親を選べないのは事実。

親も子どもを選べませんが、

子どもをもうけるかどうかの選択はしたはず。

 

それならば、

覚悟を決めて、

子育てに勤しみましょう。

 

でも、

困ったときは、

誰かの助けを借りましょう。

 

身近な保育士さんは、

必ず助けてくれます。

 

 

子育ては誰がするのか

 

子どもは親だけが育てるのではありません。

親を中心として、

保育園、学校、関係施設、

親きょうだい、親戚、友人…。

 

コミュニティの子育て力不足が、

指摘されて久しいです。

 

現代日本は、

歴史上、未だかつてないほど、

子育て中の親が孤立しています。

 

 

改善はされているものの、

まだまだ、

難しさをかかえた親もたくさんいます。

難しさをかかえた子どももたくさんいます。

 

その両者に寄り添い、

子育てのプロとして、

助言や支援を行うのも保育士の重要な役割です。

 

 

 

保育士に求められる職責

 

 

保育士は、

人間の基盤を作る大切な時期に関わる、

重要な役割を担っています。

 

必要に応じて、

発達の段階を見極め、

適切な助言で、

療育へつなげていくことも、

保育士が適任だと思われます。

 

 

 

賃金が低いと言われながらも、

保育士を目指す人が後を絶たないのは、

それだけやりがいのある、

重要な責務のある職業だと認識されている証左であると言えましょう。

 

 

今、

保育の現場におられる保育士のみなさん。

しんどいこと、

嫌なこと、

納得いかないこと、

さまざまなマイナス面を受け止めながら、

日々業務に当たっていることでしょう。

 

しかし、

子どもの成長を感じたとき、

子どもが笑顔になった時、

自分の思い通りに保育ができた時、

子どもや保護者に感謝された時などなど。

 

保育士でしか味わえない、

大いなるよろこびもまた、

日々感じておられることでしょう。

 

 

子どもたちにも伝えたいと同時に、

保育士の皆さんにも伝えたい。

 

前向きな気持ちで、

一歩一歩、

歩んでいけば、

あなただけの道ができます。

その道は、あなたの人生そのもの。

 

その道がたとえ険しくとも、

歩んできたのは事実。

あなただからこそ、できたのです。

 

ここまでこれたことを自信にして、

これからも、

考えながら、

悩みながら、

迷いながら、

一歩一歩、歩んでいってください。

 

あなただけの、道をつくりあげてください。

 

振り返った時に、

自分を褒めてやれるような、

素晴らしい道を歩んでください。

 

そして子どもたちに、

その道をぜひ見せてやってください。

 

前を向いて、

笑顔で、

人生を謳歌する姿を見せてやってください。

 

それこそが、

保育士のできる最強の子育てだと思います。

 

 

子どもに、誠実にあってください。

 

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。