U先生の【保育あれこれ宝箱】

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【子育て・ケガ】子どものケガを未然に防ぐ方法!ポイントは危機回避能力の向上

 

「ターザンロープ」で女児が指切断か 市は遊具使用を中止 大阪・岸和田市(ABCニュース) - Yahoo!ニュース

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  • どうしてうちの子はよくケガをするんだろう
  • 子どもは急に突拍子もないことをするのはなぜ?
  • どうにかして未然にケガを防げないものか

 

 

子どもにはケガがつきものと、分かってはいるものの、やはり防げるものは防ぎたいですよね。

 

 

20年以上保育に携わっていると、ケガをしやすい動きをしているお子さんは、一定数必ずいます。見たらだいたいわかります。

 

それでも、周りの大人の努力次第で、子どものケガを防いだり、減らすことは可能です。

 

 

いくつかのポイントをおさえて子どもと関わるようにすれば、必ず子どものケガは減らすことができるはずです!

 

では、そのポイントを見ていきたいと思います。

 

 

 

「天才は、凡人には理解できない。なぜなら、かの人は天才だから」

 

いわずもがな、子どもは遊びの天才です

 

身の回りの環境に、体当たりで関わり、想像し、活用し、全てを遊びとしてとらえていく。

 

今回のこの遊具での事故は、とても悲惨で、女の子のケガの具合がとても心配です。

 

と同時に、悲惨な事故の再発防止のためには、どうして女の子は指を切断しなければならなくなったのかを、十分に検証して原因と課題を明らかにする必要があります。

 

 

 

今回の事故で考えてみます。

 

情報が少ないので難しい面もありますが、いわゆる「ターザンロープ」で指を切断する事態は、大人の我々からすれば、完全に想定外です。

 

想像力を働かせてみます。

 

ロープを上り切ったところに、滑車があると思われます。

 

女の子はきっと身軽で、上り棒が得意、同じようにターザンロープをぐいぐい上っていったのでしょう。

 

そしてついには滑車のところまで辿り着いた、そこに指が巻き込まれてしまったのではないか、と推察されます。

 

大人ならば、ロープはぶら下がるもので、上るべきものではないことは察しがつきます。高いところから落下すれば、骨折などの大ケガにつながります。

 

女の子はどこまでも上れる自分が得意になったのでしょうか、今回はそれが引き金になってしまった、という仮説を立てて考えていきます。

 

 

 

①子どもの行動を予測する

 

この遊具を設置するにあたり、

「ロープを1番上まで上り切ってしまう」という可能性をどれだけ想定できていたか、が問題点として挙げられます。

 

 

もし、少しでも可能性を考えていれば、上まで登れないように途中で「ねずみがえし」のような装置をつけたり、滑車部分にカバーをつけたりと、安全対策を講じられたはずです。

 

今回はそれがなかったと考えるのが妥当でしょう。

 

つまり、子どもが大人の想像を超えてしまい、予測不能な行動をしてしまったのです。

 

 

 

②子ども目線で考えてみるクセをつける

 

子どもの目線とはどういうことでしょう。

 

それを理解するのに手っ取り早いのは、子どもの目の高さに合わせて大人もしゃがんでみることです。

 

すると、いつもとは違う景色に気づくはずです。

 

地面と目との距離が短くなり、地面に落ちているものや這いずり回る虫などが気になります。

 

上を見上げれば、もう少しで手の届きそうな遊具や木の枝などがいつもより気になるはずです。

 

物理的にだけではなく、思考も子どもに合わせます。

 

子どもは子どもなりの考え方をします。

 

動きのあるものや、光ったりするものに、よく目を奪われます。

 

お子さんの考え方やクセなど、よく覚えておくといいかもしれません。

 

高いところに行くとジャンプしがちだな、など普段からよく観察することが求められます。

 

 

 

③先回りして必要な対策をする

 

予測して子どもになりきったら、最後はケガをしないように先回りして対策をします。

 

ここで重要なのは、先回りしても過剰な対策はしないことが重要です。

 

 

高いところに登ったな、ジャンプするかもしれないな、周囲には人はいないからぶつかりはしないな、着地点の比較的大きい石はどかしておこうか、などなど。

 

 

高いところに上ったから、ジャンプしそうだから、慌てて止めなければ!ではなく、危険でないならジャンプはさせてあげてください。

 

 

くり返したり、言葉がけをすることで、自分で気をつけようとする力がつきます。

 

制止してしまうと、学習する機会を子どもから奪うことになり、危険回避能力が育ちにくい状況になりかねません。

 

少しくらいのケガなら、それは1つの学びです。小さなケガが大きなケガを防ぎます。

 

 

 

子育ての目的は、子ども自身が豊かな人生を歩んでいける力をつけさせること

 

今回の記事での最重要ポイントは、

「子ども自身が危機回避能力をつける」ことです。

 

 

子ども自身が1から全て自分で学んでいけるのならば、親の助けは必要ないかもしれません。

 

子どもの年齢にもよりますが、保護者の見守りや助言によって、効率的に学習していくことも可能です。

 

目の前の小さなケガを予防するよりも、もっと長いスパンで考えてみましょう。

 

 

 

 

最後に…。

 

 

やがて、自分たちの手を離れてゆく子どもが、自分自身の判断で危険を回避し、豊かな人生を歩んでいけるように、今のうちからトレーニングをする。

 

このことは、子育ての究極の目標でもあると、僕自身は考えています。

 

 

冒頭の事故の際、保護者の方はどうしていたのかは分かりません。

 

保護者の方としては、どうしてそばにいて声をかけてやれなかったのかと、悔やんでおられるかもしれません。

 

大切なお子さんの、危機回避能力を育むために、今のうちからできることは何かということを考えさせられる事故でもあります。

 

 

最後になりましたが、

ケガをしたお子さんの、1日でも早い回復をお祈りいたしております。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

【子育て・人権】子どもをもつ権利 障がい者は子どもが育てられない? 人権侵害

障害者の結婚に“不妊処置”を提案 「強制ではない」…背景に子育て支援の限界か 専門家からは“人権侵害”の指摘も(北海道ニュースUHB) - Yahoo!ニュース

 

このニュースを見て、まず衝撃波を複数回味わいました。

 

まず第一波。

 

結婚も、子育ても、その人が決めるべき専権事項であるというのは異論のない事実だと思います。

 

結婚したカップルの多くが子どもを望むのは、自然なこと。

 

それは基本的な人権の一つです。

 

 

自分の人生は、自分自身が決める。

 

それが当たり前にできる社会が理想ですし、全員が全力で目指すべき姿です。

 

 

ただ、障がいがある人は、たまたま自分1人の力では生活できないので、サポートが必要です。

 

それは、人間らしい生活をするために、受けて当たり前のサポートです。

 

それが福祉です。

 

サポートを受ける人に感謝の心持ちはあってもいいかもしれませんが、義務でも強制でもないはずです。

 

 

子どもをもうけて、子育てをする。

その選択の自由はどんな人でも持ち合わせているはずです、たとえサポートなしでは生活できない人であったとしても。

 

それができないのは、社会のシステムの方がおかしいと僕は思います。

 

福祉の力が足りていないのです。

 

 

 

ニュースから読み取ると、子どもはサポートの対象外だから、という理由で、同意をとっていたとしても、もちかけているのは施設側。

 

施設を出るのは、生活ができなくなるのと、同意。

 

つまり、今まで通りの生活を望むなら、結婚してもいいけど、子どもは諦めてねという宣告。

 

これは完全に人権侵害です。

 

 

 

コレがまかり通るなら、何も障がいをもたない健常者の一般人を、無作為で何割か抽出して、おんなじことを提案したらいいんです。

 

これまで通りの生活をしたいなら、結婚してもいいけど、子どもは諦めて、と。

 

理由を問われたら、あなたのせいではないのですが、あなたの子どもはサポート外なんですって、同じように伝えたらいい。

 

 

 

こうでもしないと、この狂気の沙汰は、わからない人が多いのではないでしょうか。

 

 

 

現実問題、大変なことは想像できます。

 

でも、それでも、これだけのニュースになっている、この問題が現在の日本で起きていること自体が大問題であり、多くの人がもっともっと関心をもって自分のことのように考えるべきことではないか、と思うのです。

 

 

 

そしてもう一つの、衝撃波第二波。

 

ニュースのコメントに、施設側の判断を支持している人のコメントの方が多いということ。

 

 

「子どもにとって適切な環境なのか」

 

「公費の負担が大きい」

 

不妊処置を強制したわけではない」

 

「幸せな夫婦生活だけでよい」

 

 

ビックリしました。

 

心底、こう思う人がいるならば、全部自分に降りかかってきたことだとしたらどうしますか??

 

こんなことを自分が言われたらどうしますか?

何を思いますか?

 

 

 

誰しもの育児環境は最適ですか?

障がいがないから?

 

公費の負担が大きい?

あなたは公費にお世話になってないとでもおもっているのですか?

 

 

自分は、健常者だから関係ない?

 

 

 

冗談じゃありません。

 

誰もが障がい者になる可能性があるのです。

 

障がいを持った人たちに、全く配慮しないコメントが、さらりさらりと次々に出てきて辟易します。

 

日本は、障がい者差別天国です。

 

 

障がいをもつ人も、そうではない人も、みんなで支え合っていく社会が望ましいと考えます。

 

自分さえよければいいのか。

 

様々な問題があることは分かっています。

 

でも、だからといって、その問題を少しでも、社会全体で分かち合い、分担し合って、みんなで幸せを勝ち取っていくしかないのではないでしょうか。

 

日本の福祉も、国際的に見れば発展途上のようです。

 

自分では温厚なつもりですが、このニュースだけは怒りを覚えました。

 

今回はここまでにしたいと思います。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

 

【保育・子育て】「個」の時代に「集団」で保育をする意味 集団保育の是非

「集団で保育をする」ことの意味

 

個を大切にする時代の潮流には逆行しているかもしれない、集団での保育。

 

一斉にトイレに行く

 

一斉に外遊びへ行く

 

一斉に食べる

 

一斉に寝る

 

 

 

子どもそれぞれの生活リズムに合わせたものではない、とも考えられるでしょう。

 

 

基本的な生活習慣の確立は、就学前の子どもたちには必須です。

 

 

ライフスタイルも多様になり、夜遅くまで起きていたり、昼前まで寝ていたりするご家庭も増えています。

 

 

また、支援の必要な家庭では、家庭だけでは生活リズムを整えるなどの習慣を確立するのは困難なので、サポートが必要です。

 

そうなると、保育園は、基本的な生活習慣の見本となる役割を果たすことを期待されます。

 

 

 

毎日、できるだけ決まった時間に起きる。

朝ごはんをしっかり食べる。

 

 

午前中、集中力のある時に、さまざまな活動に意欲的に取り組む。

 

お昼ごはんを食べる。

 

お昼寝をする。

 

おやつを食べる。

などなど。

 

 

毎日、可能な限り時間を変えることなく活動をすることで、だんだんと自分で見通しをもって行動できるようになります。

 

自信がついて、意欲的になります。

 

心と身体が充実してくると、好奇心をもち、さまざまな事象に対して好奇心をもち、興味をもって関わろうとします。

 

友だちの存在に気づき、能動的に関わろうとします。

 

友だち関係の広がりの中で、協働の喜び、気持ちのぶつかり合いでの葛藤、協力する楽しさなどを知り、より心の成長が促されます

 

のように、

 

 

子どもの発達の根幹部分である、基本的な生活習慣の確立は、最も大事なことの1つです。

 

 

 

 

【一斉にトイレ】

 

一斉にトイレに行くことについて考えてみます。

 

排泄が自立すると、自分でトイレに行こうとします。

 

成長とともに、おしっこをためておける時間が長くなり、間隔が長くなります

 

そうなると、活動と活動の合間に排泄を済ましておくと、次の活動に集中して取り組めます

 

保育園では、それが自分でできるように、

 

「次はお外へ行くからトイレに行っておこう」と自分で判断できるようになることが、一定のゴールであると思います。

 

一斉にトイレに行くことは、そのゴールにたどり着くための通過点に過ぎません。

 

 

僕も、

「次は絵を描くから、今のうちにトイレに行きたい人は行っておいてね」とよく声をかけていました。

 

結果的に、クラスの大部分の子どもがトイレに行くことになります。

 

そのうち、その日の予定を伝えておくだけで、先にトイレに行っておこうとする子どもが少しずつ現れます。

 

その時にすかさず声をかけます。

「自分で考えて行動できたね!」

 

それをきいて、他の子どもも自分で考えようとします。

 

友だちからのいい影響は、いくらでももらっときましょう!(笑)

 

 

 

 

【一斉に外遊び】

 

一斉に外遊びをすることについて考えます。

 

子どもたちは、年齢性別を問わず、外遊びが大好きです。

 

 

園庭の環境は、大人には分かりにくい、魅力がたくさん詰まっています。

 

草、木の葉、花、虫、石ころ、砂、水たまり、木の枝、遊具、ボール、三輪車…そして友だち。

 

 

1人遊びもとても大切なのは言うまでもありませんが、友だちや保育者と遊ぶことで、その活動量は1人遊びと比べて大幅に増えるそうです。

 

簡単なルールをのある遊びを友だちとすることで、ルールの大切さと大切さがわかるようになります。

 

1人では味わえないことが、友だちとすごすことで経験することができるのです。

 

 

 

【一斉に食べる】

 

一斉にご飯を食べることについて考えます。

 

毎日同じような生活リズムで過ごすことで、ある時間になると、お腹が空いてきます

 

 

人間にとっていちばんのご馳走は、「空腹」です。

 

 

お腹がぺこぺこの時に、温かい給食をいただくことで、食べる喜びを感じます。

 

大好きな友だちと一緒に食べ、満腹になり、満たされることで幸福感と充実感も、一緒に味わえます。

 

 

 

 

集団で過ごすメリット、とは

 

子どもの主体性という部分は大切にしなければなりません。

 

 

しかし、みんなで外遊びに行く時間に、子どもそれぞれに「あなたは外へ行きますか?」とは聞きません。

 

行くか行かないか、そこから子どもに判断させることは、酷です。

 

その判断は、保育者がすべきだと僕は思います。

 

 

そのタイミングで、子どもの主体性をどこで発揮させるかねらうとするならば、

 

外遊びで何をして遊ぶか、自分で選べるようにたくさん選択肢を用意したり、環境を整えたりすることで、子どもの選択の後押しをすること。

 

だと思います。

 

主体性を大事にしています!という保育目標はよく聞きますが、

 

子どもがのびのびと活動するための基礎的な環境整備は、大人の仕事です。

 

間違っても、大人の作業の手間を惜しむために子どもの「主体性」を振りかざしてはいけません。

 

 

 

 

それぞれの家庭の事情があって、たまたま同じ保育園に来ている子どもたち。

 

その偶然の出会いが、彼らのこれからも続く人生の中の大切な1日になるように、ハッピーを明日へと繋いでいけるように、僕らはそう願って毎日保育していければ、みんなハッピーになれるのではないかと思っています。

 

多くの時間を友だちと過ごすことになる、保育園での時間。

 

楽しいことも、嬉しいことも、悲しいことも、嫌なことも、全て学びにつながります。

 

【集団で学べること】。これが保育園の最大の強みです。

 

集団の力が、個の育ちへの後押しになればいいなと思います。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

メリークリスマス!にはちょっと早い。

【保育・虐待】虐待の見分け方? 大多数の保育園はちゃんとしてます

もしかして保育園で虐待?子どもの緊張顔には理由がある 専門家に聞く危ない園の見分け方〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

 

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静岡県裾野市の、さくら保育園で起きた、保育士による虐待事件。

 

様々な報道が加熱する中、「氷山の一角」との意見もあり、同じ保育士として胸を痛めています。

 

記事の「保育園の見極め方」に物申す

 

冒頭にリンクを貼ってありますが、保育園の見極め方という大胆なタイトルを冠した記事がありました。

 

コレに関しては、いち保育士としての個人的な意見ですが、

「大変難しい」と言わざるを得ないのが現実です。

 

その理由について、今から述べていきたいと思います。

 

 

 

①人により価値基準が違うので、見極め方という最適解が見つかるかどうか不明

 

お子さん、保護者の方、家庭状況、志望園の環境の問題などなどどれ一つとして、同じ条件の家庭は存在しません。

 

様々な事情がある家庭が存在しているが故に、様々なニーズや保育に対する希望が存在しています。

 

そのどれもを満たしている最適解を見つけ出すのは、ほぼ不可能です。

 

こちらを立てればあちらが立たず。という状況に陥ることが想像できます。

 

 

②見学だけでは知りたいことは見えてこない

 

各園、見学は随時受け入れていると思います。

 

来年度、入園希望で12月ごろ見に行くとします。

 

来年度、見学を担当した職員でさえ、在職しているかどうかも定かではありません。

 

職員が変われば、園の雰囲気がガラリと変わることはよくあることです。

 

さらには、自分の子どもを受け持つ担任が誰になるかもわかりません。

 

結論から言えば、わずかな時間の見学では、虐待していないかなど、知りたいことはほとんど分からないのです。

 

 

 

どうすれば虐待があるかないか、見極められるのか

 

 

同じ保育士として、忸怩たる思いですが、

外部の人間には、見極める方法はほぼないと思われます。

 

 

今回のさくら保育園の事件は、勇気ある内部告発で、保育士の逮捕にまで至りました。

 

しかし、虐待が始まったのは先月でしょうか?その前の月でしょうか?

 

ごく最近ということは考えにくです。

 

 

 

虐待の内容から考えるに、虐待が始まった頃は、もっと軽微なものから始まり、だんだんエスカレートしていったと考えられます。

 

普通に考えても、昨日まではきちんと保育していたのに、翌日から急に足を掴んで宙吊りしはじめるわけがないです。

 

 

ということは、逮捕されるような虐待も、内部通報でもない限り、表面化することがなかったということです。

 

 

きっと残念ながら、全国にたくさんある保育園でも同様のことが潜在的にあると考えられます。いわゆる「氷山の一角」です。

 

 

再発防止は当然のこと、虐待をどう未然に防ぐのか、今回の事件の原因をきっちり調べて公開し、ひょっとして今現在も行われているかもしれない保育園での虐待が、少しでもなくなるように、保育業界全体でどう取り組んでいくか、全ての保育士に課された命題です。

 

虐待をしないことは当然のこと、虐待をしている保育士をどう止めさせるか、知恵をしぼらねばなりません。

 

 

今回は、冒頭の記事の最初だけしか言及できませんでしたが、次回は記事の中身に具体的に言及していきます。

 

しつこいかもしれませんが、それくらい個人的にはこの記事に思うところがあるのです(笑)

 

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

 

寒いのでご自愛ください。

 

【保育・虐待】静岡 裾野市 想像を上回る虐待 暴行 暴言 障害 恐喝 

look.satv.co.jp

 

 

静岡県裾野市で起こった、保育士3人による1歳児虐待事件の続報です。

 

 

 

【以下、記事からの一部抜粋になります】

 

裾野市が報告を受けた、3人の保育士による問題行為です。

(1)ロッカーに入って泣いている園児の姿を個人所有の携帯電話で撮影

人権侵害です。そして保育園ではほとんどの園で個人の携帯が使われていると思われます。それで児童を撮影するとなると、個人情報の漏洩に直結します。

 

(2)園児の頭をバインダーでたたき泣かせる

→理由は分かりませんが、暴行です。ストレス発散としか思えません。

 

(3)棚に入った園児の足をつかんで引っ張り出し、あしをつかみ宙づりにする

→同じことを大人がされたら、ホラー映画です。戦慄が走ります。

 

(4)あらかじめ遅刻する連絡のあった園児に対し、腕を引っ張り「遅いんだよ」と怒鳴る

→遅れるのは児童のせいではありません。保護者が連れてくるのが遅くなっただけで、子どもには何の責任もありません。言いがかりです。

 

(5)寝かしつけた園児に対し「ご臨終です」と何度も発言

人権侵害です。言葉遣いのセンスも抜群に悪く、何も面白くありません。

 

(6)泣かない園児に対し、額をたたき無理やり泣かせようとする

→保育士の威厳を示したかったのでしょうか、服従しないと叩く、猛獣使いのようです。

 

(7)昼食時に園児を怒鳴りつけ、ほほをつねる

→子どもを怒鳴ったりほほをつねったりしても給食を食べたりしないことを、学校で習わなかったようです。ただの暴行です。

 

(8)日常的に特定の園児に対し、にらみつけ声を荒げ、ズボンを無理やりおろす

→とても不快で陰湿ないじめです。

 

(9)園児を宙づりにした後、真っ暗な排泄室に放置

→明らかなネグレクトです。

 

(10)園児の様子を馬鹿にした呼びかけ(ブス、デブ等)、暴言を浴びせる

→もはや人間扱いしていません

 

(11)手足口病の症状のある園児の尻を、無理やり他の園児に触らせる

→個人的には、これが1番理解し難い行為です。手足口病をクラスで広めさせて、一体どうするつもりなのでしょう、全く理解できません。

 

(12)給食を食べない園児に対し、突然、後ろから頭をたたく

→子どもの頭を叩いても、給食を食べたりしないことを、学校で習わなかったようです。

 

(13)不適切な発言をして、玩具が入っている倉庫に閉じ込める

悪質極まりないです。

 

(14)園児に対し、カッターナイフをみせ脅す

恫喝です。何が目的なのか、さっぱりわかりません。

 

(15)丸めたゴザで園児の頭をたたく

暴行です。
 

 

よくもまあ、こんなに酷い行為を思いついて、実行できたものです。

 

感覚の違いに、唖然とします。

 

もしも。

シタ側の保育士が反対の立場になって、サレる側になったことを少しでも想像してみたら、恐怖でしかありません。

 

15のうち、1つでも十分に虐待案件ですが、これほどまでに悲惨な内容だと、本当に現実にあったことなのか、想像力が追いつきません。

 

子どもたちの気持ちを考えると、暗澹たる思いです、この世の地獄だったことでしょう。

 

 

今はただただ、当事者の子どもたちの平穏と、保護者の方の不安な気持ちが少しでも軽くなることだけを祈ることしか、同業者のわれわれにできることは残されていない気がします。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

【保育・虐待】1歳児暴行事件 保育士逮捕 事件の原因の考察 どうして起きた?

「バタついて冷静な行為ができなかった」保育園園児虐待事件で逮捕された元保育士の39歳の女が説明 静岡・裾野市 - LOOK 静岡朝日テレビ

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毎日ニュースになっており、都度新しい動きが出てきている、静岡県裾野市の保育士による1歳児虐待事件。

 

行政と警察、双方から厳しい指摘を受けているさくら保育園側ですが、保育士の立場としてはどうしてこのような虐待が起きてしまったのか、自分なりに考察してみました。

 

 

保育現場は閉ざされた空間

 

子どもを大切に保育するにあたって、安全の確保が重要になってきます。

 

 

園の出入り口はオートロックにしたり、

来園者とはインターフォン越しに話をしたり、監視カメラを設置したりと、

各園により差はあるもののセキュリティのレベルは近年上がってきていまず。

 

 

このことが、地域のコミュニティに開かれた保育園であることからは、乖離した現実を感じることができます。

 

 

つまり、保育園の中でどんなことが行われていて、どんな子がいて、どんな先生がいて、毎日どのように過ごしているのか、知ることが容易ではなくなってきていることが、保育園の閉鎖性を助長しています。

 

 

閉鎖性は保育園の中にもはびこっている

 

保育園では、ほとんどの園で学年によるクラス制になっています。

 

 

意識的に連携していないと、となりのクラスでどんな保育が行われているのか、よく分からないというのは、想像に難くありません。

 

 

いわゆる不適切な保育が行われていたとしても、担任以外は気づけない危険性もあります。

 

さらには、担任はそれぞれの年齢に応じた、

配置基準により決まっています。

 

  • 0歳児→保育士1人につき子ども3人
  • 1・2歳児→保育士1人につき子ども6人
  • 3歳児は→保育士1人につき子ども20人
  • 4・5歳児→保育士1人につき子ども30人

 

これは厚労省が定めた保育士の配置基準です。もう数十年変わっていません。

 

お分かりのように、

この配置基準では、昨今の様々な配慮が必要な子どもさんへの手厚い保育はおろか、増える一方の保護者の方の保育へのニーズには応えることはできません。

 

 

自分のクラスだけではなく、隣のクラスまで気を配る、なんてことは到底無理な話です。

 

現場をカバーするはずの、フリーの保育士や主任、園長も同様に自分の仕事に追われ、保育の現場を見守る余裕なんてどこにもありません。

 

 

 

 

保育士の裁量が大きすぎる

 

もう一つの大きな問題点は、

保育内容の決定のプロセスにあります。

 

 

保育士のバイブルでもある、

「保育指針」が大元にあり、

保育園ごとに保育の根幹部分である保育方針が決められています。

 

それに則って年間カリキュラム月間カリキュラムなど、実際のクラスの保育へと落とし込んで、保育が行われていきます。

 

 

カリキュラムなどは主に担任が作成することになりますが、それが個人的には保育士個人の裁量による決定する幅が大きすぎると思います。

 

 

ざっくり言うと、同じ保育園の保育方針の下でも、担任によりガラリと取り組み内容が違ってくることがほとんどです

 

例えば、あの先生が4歳児もったときはこうしていたのに、違う先生が4歳児もったときはこうだった、という話は、保育のあるある話です。

 

その時の子どもの姿に合わせた保育を展開しているという大義名分はあります。

 

 

乱暴な言い方をすれば、とりあえずやってみよう、やってみて合わなければ軌道修正しよう、みたいな考え方もできなくはないのです。

 

カリキュラムを事前に職員同士で検討することは、どの園でもしていることだとは思いますが、あくまでカリキュラムはこれからの保育の計画に過ぎません。

 

 

 

計画を立てるのも担任であれば、実行するのも担任で、あとから振り返るのも担任です。

 

 

 

だれかが見ていなければ、不適切な保育がなされていても、担任のレベルで容易におさまってしまう可能性が高いです。

 

視野が狭くなったり、自分の選択に間違いがないと勘違いしたりも起こりえます。

 

 

ここが、今回の事件の根源的な原因ではないかと、僕は考えます。

 

 

 

 

保育業界、変革のチャンス

 

 

恐ろしいことに、

おそらく全国の保育の現場は、

どこも大きく環境は違わないはずです。

 

つまり、今回の事件に近い予備軍のようなできごとは、全国的に津々浦々まで、例外なくはびこっているおそれがあります

 

 

今回の逮捕を受けて、

芋づる式に、さまざまな事件やできごとが、報道により現れてくることが予想されます。

 

 

 

僕は、これは逆にチャンスだと思います。

世間の注目が保育業界に注がれている今、形を変える大きなチャンスだと思っています!

 

 

ぜひ、保育の現場に携わるすべての人は、

おかしいことには、おかしいと声を上げ、

このチャンスに膿をだしきって欲しいと思います。

 

勇気がない、

きっかけがない、

どうすればいいかわからない…。

 

様々な思いを持ちながら、

日々、子どもに向き合っている保育士のみなさん。

 

おつかれさまです。

 

今こそ、アクションを起こすべきです。

全ては子どもたちのために。

 

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

【保育・虐待】静岡 裾野市 想像を上回る虐待 暴行 暴言 障害 恐喝 

look.satv.co.jp

 

 

静岡県裾野市で起こった、保育士3人による1歳児虐待事件の続報です。

 

 

 

【以下、記事からの一部抜粋になります】

 

裾野市が報告を受けた、3人の保育士による問題行為です。

(1)ロッカーに入って泣いている園児の姿を個人所有の携帯電話で撮影

人権侵害です。そして保育園ではほとんどの園で個人の携帯が使われていると思われます。それで児童を撮影するとなると、個人情報の漏洩に直結します。

 

(2)園児の頭をバインダーでたたき泣かせる

→理由は分かりませんが、暴行です。ストレス発散としか思えません。

 

(3)棚に入った園児の足をつかんで引っ張り出し、あしをつかみ宙づりにする

→同じことを大人がされたら、ホラー映画です。戦慄が走ります。

 

(4)あらかじめ遅刻する連絡のあった園児に対し、腕を引っ張り「遅いんだよ」と怒鳴る

→遅れるのは児童のせいではありません。保護者が連れてくるのが遅くなっただけで、子どもには何の責任もありません。言いがかりです。

 

(5)寝かしつけた園児に対し「ご臨終です」と何度も発言

人権侵害です。言葉遣いのセンスも抜群に悪く、何も面白くありません。

 

(6)泣かない園児に対し、額をたたき無理やり泣かせようとする

→保育士の威厳を示したかったのでしょうか、服従しないと叩く、猛獣使いのようです。

 

(7)昼食時に園児を怒鳴りつけ、ほほをつねる

→子どもを怒鳴ったりほほをつねったりしても給食を食べたりしないことを、学校で習わなかったようです。ただの暴行です。

 

(8)日常的に特定の園児に対し、にらみつけ声を荒げ、ズボンを無理やりおろす

→とても不快で陰湿ないじめです。

 

(9)園児を宙づりにした後、真っ暗な排泄室に放置

→明らかなネグレクトです。

 

(10)園児の様子を馬鹿にした呼びかけ(ブス、デブ等)、暴言を浴びせる

→もはや人間扱いしていません

 

(11)手足口病の症状のある園児の尻を、無理やり他の園児に触らせる

→個人的には、これが1番理解し難い行為です。手足口病をクラスで広めさせて、一体どうするつもりなのでしょう、全く理解できません。

 

(12)給食を食べない園児に対し、突然、後ろから頭をたたく

→子どもの頭を叩いても、給食を食べたりしないことを、学校で習わなかったようです。

 

(13)不適切な発言をして、玩具が入っている倉庫に閉じ込める

悪質極まりないです。

 

(14)園児に対し、カッターナイフをみせ脅す

恫喝です。何が目的なのか、さっぱりわかりません。

 

(15)丸めたゴザで園児の頭をたたく

暴行です。
 

 

よくもまあ、こんなに酷い行為を思いついて、実行できたものです。

 

感覚の違いに、唖然とします。

 

もしも。

シタ側の保育士が反対の立場になって、サレる側になったことを少しでも想像してみたら、恐怖でしかありません。

 

15のうち、1つでも十分に虐待案件ですが、これほどまでに悲惨な内容だと、本当に現実にあったことなのか、想像力が追いつきません。

 

子どもたちの気持ちを考えると、暗澹たる思いです、この世の地獄だったことでしょう。

 

 

今はただただ、当事者の子どもたちの平穏と、保護者の方の不安な気持ちが少しでも軽くなることだけを祈ることしか、同業者のわれわれにできることは残されていない気がします。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。