U先生の【保育あれこれ宝箱】

公立・民間合わせて保育20年、これまでの経験や知識を、できるだけ多くの人に届けたい!

【はじめまして】保育士ではなくなった日々。

保育に携わり20年…。

まさか、こんな日が来るなんて想像もしていませんでした。

 

自分が保育士ではなくなる日が来るなんて。

 

正確には、一身上の都合で保育現場から離れてしまったということです。しかし、個人的には保育に一生添い遂げて終わるのだろうと漠然と考えていたので、非常に困惑しています。

 

 

保育士になろうと思ったきっかけ

 

小さい頃から、環境的に周りに人が多かったせいもあってか、人に何か教えることが好きで、人懐っこい方ではあったと思います。

 

学生時代に、プールの監視員のアルバイトをしていました。そこでたまたま、水泳教室のインストラクターに誘われ、水泳は得意だったので安易な気持ちで受けてみることに。

 

泳ぐことと、人に泳ぎを教えることは、当然ながら全然違う作業なので、戸惑いながらも、先輩にレクチャーを受け、それでも楽しくなんちゃってイントラをしていました。

 

障がいを持つ人たちや小学生の子どもたちと水泳を通して関わる中で、いろいろな感情が湧き上がってきました。

 

「人と関わることを仕事にしたら楽しそうだな」

 

水泳教室は週に数回、1時間足らずしか関わる時間がありません。

 

「もっと長い時間、長い期間、同じ人と関わってみたい」

 

プールでのこの経験が、保育士を目指すきっかけになったと思います。

 

どうして「保育士」だったのか

 

人と関わる仕事は世の中にいろいろある中で、どうして「保育士」だったのか。

 

その答えは単純で、母親が保育士だったのです。

でも、当時母親は全然違う仕事をしていたし、保育士の面影といえば、自宅の狭いリビングに誰も弾かなくなったピアノが鎮座していたことくらい。

 

自分が保育士になろうと思ったのは、きっと遺伝子のなせる業ではないかと、今でも思っています。ちなみに父親は、児童養護施設の指導員をしていました。福祉の血が脈々と流れていたのでしょうか。

 

 

保育への思い

 

大阪で民間・公立あわせて20年間保育に携わってきました。その経験の中で得たもの、知識、これまで自分が試行錯誤してきたこと、このまま忘却の彼方へ忘れ去ってしまうのは非常にもったいないと思い、このブログを立ち上げました。

 

保育士になるためのヒントをいただけた恩師(勝手に思っています)、訳も分からない学生をボランティアとして置いていただいた園長先生、指導していただいた先輩、一緒に保育をしてくれた同僚の先生、などなど。

 

今の自分が存在しているのはたくさんの人のおかげ、そしてそれを繋いでくれたのは【保育】です。

 

自分は保育に恩返しがしたい、そして子育てに悩んでいる方に少しでも前向きな気持ちに慣れるよう、保育をする上で壁にぶつかったりしんどい思いをしている保育者の方に、何かヒントになれば・・・いう思いでいっぱいです。

 

このブログが、誰か1人でも役に立てば、とても嬉しいです。

宝箱なんて大それた名前をつけてしまいましたが、これから少しずつお宝を増やして、みていただいた方に、何か持って帰ってもらえれば・・・と思っています。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。