幼稚園バスに、3歳のお子さんが置き去りにされて、亡くなりました。
同じ子をもつ親として、胸が詰まりそうな、この渦巻く感情を、どう表現すればいいのかわかりません。
このお子さんの水筒は、空になっていたそうです。
当時、気温が高く、影のない炎天下の空の下、
バスの中ははきっと、灼熱地獄だったことでしょう。
何度も何度も、大好きな、自分を助けてくれるだろう大人の名前を呼んだに違いありません。
水筒も空になり、いよいよ暑すぎて着ているものを脱ぎ捨て、遠のく意識の中で彼女は何を感じたのでしょうか。
3年という短い生涯を、たった1人灼熱のバスの中で終えた彼女の無念たるや、想像を絶するものがあります。
ただただ、心からご冥福をお祈りいたします。
幼稚園の保護者説明会が紛糾したように、正直僕もこのニュースを直視できない自分がいます。
あまりにも辛すぎて、悔しくて、自分が同じ目にあったと想像するだけで、胸が引き裂かれそうになります。
運転していた理事長先生の話を聞いていると、ああ、この人はきっと保育をしたことがないんだなとすぐに分かりました。
自分の責任で子どもを死なせたかも知れない、保育をしたことがある人は、会見の場に出てきて、あんなに堂々と事故について話をしたり、時にニヤついたり(はらわた煮えくり返りました)、できるはずがありません。
自分なら一生立ち直れないかも知れない。
彼女の命を無駄にしないために、もう二度と、車の中で子どもが置き去りにされないシステムを考えなくてはなりません。
これは、生き残ったものの責務です。
これだけテクノロジーが発達して、インターネットも当たり前になったこの世の中で、いつまで私たちは、子どもを簡単に殺させているのでしょう。
もう待ったなしで、この機運が高まっているいまこそ、日本をあげて、絶対に子どもを車に置き去りにしないシステムを考えて実現していきたいです。
TwitterやInstagram、ブログなどで、誰かが画期的なアイデアを発表してくれないかと思います。
もう、小まめに人数確認を!とか、ダブルチェックで!などの対策では、大切な子どもの命は守れないことが、はっきりしました。
事故を風化させず、人類の叡智を集結して、こんな悲しい思いをする人が、1人でも減るように、他人事ではなく考えていきたいです。
これからも考え続けていきます。
それが、生き残ったものの責務ですから。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。