「バタついて冷静な行為ができなかった」保育園園児虐待事件で逮捕された元保育士の39歳の女が説明 静岡・裾野市 - LOOK 静岡朝日テレビ
毎日ニュースになっており、都度新しい動きが出てきている、静岡県裾野市の保育士による1歳児虐待事件。
行政と警察、双方から厳しい指摘を受けているさくら保育園側ですが、保育士の立場としてはどうしてこのような虐待が起きてしまったのか、自分なりに考察してみました。
保育現場は閉ざされた空間
子どもを大切に保育するにあたって、安全の確保が重要になってきます。
園の出入り口はオートロックにしたり、
来園者とはインターフォン越しに話をしたり、監視カメラを設置したりと、
各園により差はあるもののセキュリティのレベルは近年上がってきていまず。
このことが、地域のコミュニティに開かれた保育園であることからは、乖離した現実を感じることができます。
つまり、保育園の中でどんなことが行われていて、どんな子がいて、どんな先生がいて、毎日どのように過ごしているのか、知ることが容易ではなくなってきていることが、保育園の閉鎖性を助長しています。
閉鎖性は保育園の中にもはびこっている
保育園では、ほとんどの園で学年によるクラス制になっています。
意識的に連携していないと、となりのクラスでどんな保育が行われているのか、よく分からないというのは、想像に難くありません。
いわゆる不適切な保育が行われていたとしても、担任以外は気づけない危険性もあります。
さらには、担任はそれぞれの年齢に応じた、
配置基準により決まっています。
- 0歳児→保育士1人につき子ども3人
- 1・2歳児→保育士1人につき子ども6人
- 3歳児は→保育士1人につき子ども20人
- 4・5歳児→保育士1人につき子ども30人
これは厚労省が定めた保育士の配置基準です。もう数十年変わっていません。
お分かりのように、
この配置基準では、昨今の様々な配慮が必要な子どもさんへの手厚い保育はおろか、増える一方の保護者の方の保育へのニーズには応えることはできません。
自分のクラスだけではなく、隣のクラスまで気を配る、なんてことは到底無理な話です。
現場をカバーするはずの、フリーの保育士や主任、園長も同様に自分の仕事に追われ、保育の現場を見守る余裕なんてどこにもありません。
保育士の裁量が大きすぎる
もう一つの大きな問題点は、
保育内容の決定のプロセスにあります。
保育士のバイブルでもある、
「保育指針」が大元にあり、
保育園ごとに保育の根幹部分である保育方針が決められています。
それに則って年間カリキュラム、月間カリキュラムなど、実際のクラスの保育へと落とし込んで、保育が行われていきます。
カリキュラムなどは主に担任が作成することになりますが、それが個人的には保育士個人の裁量による決定する幅が大きすぎると思います。
ざっくり言うと、同じ保育園の保育方針の下でも、担任によりガラリと取り組み内容が違ってくることがほとんどです。
例えば、あの先生が4歳児もったときはこうしていたのに、違う先生が4歳児もったときはこうだった、という話は、保育のあるある話です。
その時の子どもの姿に合わせた保育を展開しているという大義名分はあります。
乱暴な言い方をすれば、とりあえずやってみよう、やってみて合わなければ軌道修正しよう、みたいな考え方もできなくはないのです。
カリキュラムを事前に職員同士で検討することは、どの園でもしていることだとは思いますが、あくまでカリキュラムはこれからの保育の計画に過ぎません。
計画を立てるのも担任であれば、実行するのも担任で、あとから振り返るのも担任です。
だれかが見ていなければ、不適切な保育がなされていても、担任のレベルで容易におさまってしまう可能性が高いです。
視野が狭くなったり、自分の選択に間違いがないと勘違いしたりも起こりえます。
ここが、今回の事件の根源的な原因ではないかと、僕は考えます。
保育業界、変革のチャンス
恐ろしいことに、
おそらく全国の保育の現場は、
どこも大きく環境は違わないはずです。
つまり、今回の事件に近い予備軍のようなできごとは、全国的に津々浦々まで、例外なくはびこっているおそれがあります。
今回の逮捕を受けて、
芋づる式に、さまざまな事件やできごとが、報道により現れてくることが予想されます。
僕は、これは逆にチャンスだと思います。
世間の注目が保育業界に注がれている今、形を変える大きなチャンスだと思っています!
ぜひ、保育の現場に携わるすべての人は、
おかしいことには、おかしいと声を上げ、
このチャンスに膿をだしきって欲しいと思います。
勇気がない、
きっかけがない、
どうすればいいかわからない…。
様々な思いを持ちながら、
日々、子どもに向き合っている保育士のみなさん。
おつかれさまです。
今こそ、アクションを起こすべきです。
全ては子どもたちのために。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。