U先生の【保育あれこれ宝箱】

公立・民間合わせて保育20年、これまでの経験や知識を、できるだけ多くの人に届けたい!

【子育て・車・置き去り】悲しみしかない ヒューマンエラー 解決策は日頃の密なコミュニケーションか

車内に9時間置き去りか、2歳女児死亡 保育所も欠席の安否確認せず | 毎日新聞mainichi.jp

 

ヒューマンエラーとは

 

また、悲惨な事故がくりかえされてしまいました。

 

 

 

ヒューマンエラーとは、人間が思い違いや確認不足によって起こす、ミスや事故のことです。

 

ヒューマンエラーには、うっかりミスのような小さなものから、今回のような命の危険のある深刻な状況をもたらすものまで、幅広い種類があります。

 

大別して、意図して起こるものと意図せずして起こるものがあります。

 

 

 

今回の事故でいえば、

父親の証言により、

次女を保育園に預けたものと思い込んで、

車内に忘れていたというのが事実でしょう。

 

その証拠に、

次女を保育園まで迎えに行ってから預けていないことに気づき、自家用車の中で次女を発見していることからも明らかです。

 

自宅に帰った時、

自宅を出る時、

車内を少しでも注意深く見ていれば、

もっと早くに発見できたかも知れません。

 

 

 

 

ヒューマンエラーの原因は

 

原因は、先入観や固定観念などの認知ミス。

 

あるいは、見落としや確認ミスなどの不注意

 

または、心身の機能低下によるもの、などが考えられるでしょう。

 

 

 

今回の事故では、

次女は保育園に預けた、という思い込み。

 

自宅に帰った時、自宅から迎えに出発する時、車内を軽く見回していれば、という確認ミス。

 

長女と三女を預けた時に、

重大な考え事をしていたか、

寝不足やあるいは体調不良で、

本来の身体機能よりも低下していた可能性。

 

などが考えられるでしょう。

 

 

 

ヒューマンエラーの防止策とは

マニュアルの作成や、過去のヒューマンエラーをリスト化、危険予測のトレーニングなど様々な対策が考えられます。

 

 

今回の事故について考えてみます。

 

 

最大の原因は、

父親の次女を預けたという思い込みです。

 

 

日頃から家族と連絡を取り合って、

「子どもを預けたから仕事に行く」などと、

確認のメッセージを送り合うことなどでも防げたでしょう。

 

長女と三女を預けて、次女を預けるというルーティンが、この日に限って何かのアクシデントやトラブルで崩れてしまった可能性もあります。

 

何らかの事情により、最初の保育園から次の保育園に行く間に、予期せぬ何かが起きてしまいルーティンが崩れ失念した。

 

そして、運転席から見えにくい3列目のシートで、たまたま寝入っていた次女の存在も、同じように失念してしまった。

 

残念ですが、考えられなくはないです。

 

 

そして、園側にもヒューマンエラーが発生しています。

 

連絡がなく登園してこない子どもについては、園から連絡して確認するというのが、マニュアルとしての手続きのようです。

 

これも、忙しさのあまり失念していた、ということです。

 

これについては、本当に忙しかっただけなのだろうか?と疑念を抱きます。

 

保育士の立場から考えると、当日が土曜日というのがポイントだと考えます。

 

平日とは違い土曜日は、

登園する子どもの数が減ります。

土曜日は「登園します」と言っても急に休みになって連絡なく休む家庭も、少なくはないと思います。

 

このご家庭が、普段から休む時にまめに連絡するご家庭であったかどうかもポイントです。

 

普段からきっちり連絡する家庭であれば、

「あれ?今日は来るっていってたのに、まだ来ないのはなんだかおかしい」と気づいた保育士がいた可能性もあります。

 

保育士の立場から考えると、

園側から連絡できれば防げた事故であるのは確実である上に、こういう事故を防ぐためにあるマニュアルが守れていない、どの職員も無念であるに違いありません。

 

 

 

おわりに…

 

この事故の1番の責任は、言わずもがな、自分の子どもの所在を失念した父親にあります。

 

そして、連絡なく休んでいる家庭に連絡すべきというマニュアルがあるにも関わらず、連絡をしなかった園側の責任も重大です。

 

 

今回のこの記事で1番言いたいことですが、

ヒューマンエラーは、絶対に起きるので、複数の対策をする、あるいは機械などのツールを使うしか方法ありません。

 

大切なのは、

【ヒューマンを過信してはならない】

【危険予測を十分に行う】

【コミュニケーションを密にとる】

ではないでしょうか。

 

ご家族の、特に父親の胸中は押しはかることさえもはばかれます。

 

月並みですが、

亡くなったお子さんの命を無駄にしないように、残された私たちが再発防止策を一所懸命に考えて拡散させることが、唯一してあげられることなのではないでしょうか。

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

【子育て・保育】保育士の職責 保育士の最大の仕事 背中で語る

子どもは私たちと同じ「人」

 

子どもは、

立派な1人の人間であり、

人権も保障されるべき、

尊い命ある存在です。

 

 

それでいて、

この世に生を受け、

まだほんの数年しか経っていない、

未熟な存在です。

 

 

私たち大人は、

子どもの成長を見守り、

さらなる成長を促し、

同時に、社会全体で守り、育てていかなければなりません。

 

 

自分の子どもであっても、

親が何をしてもいいわけではありません。

 

 

本人の意思を尊重し、

できる選択はさせる。

 

「親ガチャ」なんていう言葉もありますが、

子どもが親を選べないのは事実。

親も子どもを選べませんが、

子どもをもうけるかどうかの選択はしたはず。

 

それならば、

覚悟を決めて、

子育てに勤しみましょう。

 

でも、

困ったときは、

誰かの助けを借りましょう。

 

身近な保育士さんは、

必ず助けてくれます。

 

 

子育ては誰がするのか

 

子どもは親だけが育てるのではありません。

親を中心として、

保育園、学校、関係施設、

親きょうだい、親戚、友人…。

 

コミュニティの子育て力不足が、

指摘されて久しいです。

 

現代日本は、

歴史上、未だかつてないほど、

子育て中の親が孤立しています。

 

 

改善はされているものの、

まだまだ、

難しさをかかえた親もたくさんいます。

難しさをかかえた子どももたくさんいます。

 

その両者に寄り添い、

子育てのプロとして、

助言や支援を行うのも保育士の重要な役割です。

 

 

 

保育士に求められる職責

 

 

保育士は、

人間の基盤を作る大切な時期に関わる、

重要な役割を担っています。

 

必要に応じて、

発達の段階を見極め、

適切な助言で、

療育へつなげていくことも、

保育士が適任だと思われます。

 

 

 

賃金が低いと言われながらも、

保育士を目指す人が後を絶たないのは、

それだけやりがいのある、

重要な責務のある職業だと認識されている証左であると言えましょう。

 

 

今、

保育の現場におられる保育士のみなさん。

しんどいこと、

嫌なこと、

納得いかないこと、

さまざまなマイナス面を受け止めながら、

日々業務に当たっていることでしょう。

 

しかし、

子どもの成長を感じたとき、

子どもが笑顔になった時、

自分の思い通りに保育ができた時、

子どもや保護者に感謝された時などなど。

 

保育士でしか味わえない、

大いなるよろこびもまた、

日々感じておられることでしょう。

 

 

子どもたちにも伝えたいと同時に、

保育士の皆さんにも伝えたい。

 

前向きな気持ちで、

一歩一歩、

歩んでいけば、

あなただけの道ができます。

その道は、あなたの人生そのもの。

 

その道がたとえ険しくとも、

歩んできたのは事実。

あなただからこそ、できたのです。

 

ここまでこれたことを自信にして、

これからも、

考えながら、

悩みながら、

迷いながら、

一歩一歩、歩んでいってください。

 

あなただけの、道をつくりあげてください。

 

振り返った時に、

自分を褒めてやれるような、

素晴らしい道を歩んでください。

 

そして子どもたちに、

その道をぜひ見せてやってください。

 

前を向いて、

笑顔で、

人生を謳歌する姿を見せてやってください。

 

それこそが、

保育士のできる最強の子育てだと思います。

 

 

子どもに、誠実にあってください。

 

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

【子育て・ゆたぼん】ゆたぼん親子の行く末 「革命家」って自分で名乗れることを教えてくれました

 

approach.yahoo.co.jp

 

子育てのプロとしては、やはり気になる親子

 

連日、ネットニュースをにぎわせている、ゆたぼんとゆたぼんのパパの親子。

 

炎上商法だと揶揄されていますが、それでもヤフーニュースだけでも月に100本も記事が出ているそうです。

 

でもニュースの記事なので、本業?の動画の再生回数に直結はしないと思われます。

 

 

興味本位でのぞきたい人は、ニュースで十分だからです。

 

 

申し訳ないですが、ブログの記事にしているわりには、僕も動画を一度も見たことがないです、ごめんなさい。

 

見たことないというか、見れないというか、直視できないというか…。

 

 

 

 

だけどもだけど…。

これはとても健闘していると僕は思います。

とてもすごいことです。

誰でもできることではありません。

狙ってできることでもありません。

 

 

 

やっていることは単純です。

 

学校に行かないで、好きなことをやる。

それだけです。

 

 

さまざまなしがらみを無視した上で、学校に行かないで好きなことしたいですか?と聞かれれば、ほぼ全員、好きなことしたいと答えるのではないでしょうか。

 

でも、ほとんどの人はそうしません。

 

 

理由はいろいろあるでしょうが、

ほとんどの人は学校へ行きます。

 

 

「学校行かないで、好きなことしたいな」

 

僕にとっては、ドラえもんの歌にある「空を自由に飛びたいな」と同じテンションの欲望です。

 

 

 

そんな人々の空想に、人生をかけてリアルな答えを出そうとしているのが、この親子なのです。

 

誰にでもできることではありません。

 

だから、ここまで人々の耳目を集めているのではないかと思っています。

 

 

 

 

そして実は、このゆたぼんのパパは、知り合いの知り合いで、そう知らない人でもないのです。

 

だけに、とてもリアルに感じます。

 

 

 

学校に行かなかったらどうなるんだろう、この問いに人生を賭して答えてくれる、そういう意味では「革命家」だと言えます。

 

誰にでもできることではありません。

 

 

 

 

僕は、この親子のしていることを支持もしませんが、否定もしません。

 

 

教育を受けさせる義務に反しているという疑念はありますが、犯罪を犯しているわけでもないし、いわゆる迷惑系でもないし、ゆたぼんはまだ子どもだし、どちらかといえばある意味社会に貢献しているのではないかとさえ思います。

 

 

クラファンで資金調達し、全国を行脚して観光し美味しいもの食べて、同じ不登校の子どもを勇気づける(どう勇気づけるのかは謎めいていますが)旅をする。

 

途中で資金不足になり、追加の支援金を集め、全国を回る目標(目標がすりかわっている?)は達成したい…。

 

 

その行動力や「資金力」は並大抵のものではありません。

 

 

 

でも、同じことをしたいか?と問われれば、僕はやりたくありません。

 

品性やモラルの問題です。

 

 

 

彼らの言う、「革命」。

少年という冠が外れたとき、

一体どんな革命が巻き起こるのか。

 

僕はこれからも、

大いなる興味本位で、

この親子に注視していきたいです。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

ゆたぼんとゆたぼんパパに、さちあれ。

【子育て】韓国の転倒事故 身の危険への感度は鈍らせてはいけない

 

「生きている」ことを意識する

 

駅のホームには、

列車がスピード落としながら入ってきます。

 

スピードは落ちているものの、

この列車に生身の人間がぶつかったとしたら、

一体どうなるでしょう。

 

…想像通り、命を落とす危険があります。

何より、ものすごく痛いです。

 

タンスの角に小指をぶつけただけで、

あんなに痛いのに。

 

 

 

鉄の塊の列車がぶつかってこようものなら、

人間などグジャグジャになるに違いないです。

 

ホームの端を歩いていれば、

少しバランスを崩しただけで、

起こるかもしれないのです。

 

 

 

…でも。

毎日電車に乗る人は、

そんなこと考えながら乗りません。

 

経験上、電車からはぶつかってこないことをよく知っているからです。

ホームドアも整備されてきました。

 

 

この安全な現代の日本では、

身の危険への感度が鈍っている人が多いでしょう。

自分への戒めも込めて。

 

 

 

 

すぐ横を猛スピードで通り過ぎる自動車。

 

大急ぎでスレスレで行き違う自転車。

 

いつでもどこでも歩きながらスマフォ。

 

 

 

安全な社会は素晴らしいと思います。

安全だから、安心して過ごせる。

人間らしい生活を営むことができます。

 

しかし、

命とは、儚くも、脆いものです。

車にぶつかればただでは済みません。

 

もう二度と歩けなくなるかもしれない。

ベッドから起き上がれなくなるかもしれない。

その一瞬で人生が終わるかもしれない。

 

 

確率はごく低いものの、

そんな危険と隣り合わせで、

今日もみんな生きています。

 

 

 

想像力を十分に働かせる

 

韓国で起きた悲惨な転倒事故。

犠牲者は若者が中心で、

3分の2は女性だったと聞きます。

 

ハロウィンの雰囲気に誘われて、

街へ繰り出して、

まさかそこで命を落とすなんて、

どれだけの人が想像したでしょうか。

 

 

人混みが極まれば、

集団の力が働き、

個人の力ではどうしようもなくなります。

 

 

その危機感をどれだけの人が事前に感じていたのでしょうか。

 

 

きっと、それほど少なくない人が、これ以上は危険だと判断して、人混みから離れたことでしょう。

 

 

 

でも、亡くなった多くの若者は、判断ができず、判断どころか気付くことさえもできず、人波にのまれ、そして苦しみながら生き絶えていったことでしょう。

 

 

その苦しさ、無念さ、抗えない恐ろしさ…。

 

 

想像するだけで身の毛がよだつ思いです。

 

 

きっと、亡くなった方のご両親も、

こんなことでわが子が命を落とすなんて、

想像さえできないことだと思います。

 

 

きっと、今でも、

悲しみの淵に沈み、

わが子のことを思い、

身体が引き裂かれるような思いでしょう。

 

 

亡くなった方のために、

残された私たちは、

二度とこのような悲惨な事故がないように、

考え、工夫しなければなりません。

それが唯一の供養になるでしょう。

 

 

 

折に触れ、命について、考える

 

私たちも、

常に危険と隣り合わせです。

 

 

雨の日、

車で信号待ちをしていると、

不意に自転車が滑って転倒して、ぶつかってきました。

 

幸いにもケガはなく、

車も細かい引っ掻き傷程度で済みました。

 

それでも、

頭を打ってないか、

未成年だったので保護者の方と連絡を取ったりと、いろいろと確認することも多かったです。

 

 

 

安全なように思えて、

日常には危険なことがたくさんあります。

 

その中で、

身の危険への感度は鈍らせてはならないと、

常に自分に言い聞かせています。

 

 

生きるための本能は、

鈍らせてはいけない。

 

 

生きる権利を保障されたが故の、

弊害ともいえるでしょう。

 

 

毎日、自転車をこいでいるから感じることもあります。

 

 

雨の中、

自転車をこぎながら傘を差して、

イヤフォンで音楽を聴き、

平気で信号無視をする学生。

 

 

今一度、

命の大切さ、

尊さ、

はかなさを、

身近な子どもたちに、

どうか分かりやすく伝えてやってください。

 

そのことで、

救われる命があるかもしれません。

よろしくお願いします。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

【保育・ハロウィン】ハロウィンって? 保育に必要なもの? ハロウィンのねらいは?

ハロウィンとは?

僕が子どもの頃は、

ハロウィンはありませんでした。

と言うと語弊があるかもしれません(笑)

 

正確に言うと、

今ほど市民権がなかったと思います。

仮装した記憶がないし、

お菓子をもらったこともないし、

自分が興味がなかっただけという可能性もありますが…。

 

 

 

ハロウィンとは一体何なのでしょう。

 

ネットで検索すれば、

ハロウィンについてたくさんヒットします。

なので、ここでのハロウィンの由来についての言及はやめておきます。

 

個人的には、

クリスマスほど宗教色が強くなく、

秋からクリスマスまでの、

つなぎのイベントとしての存在感が際立つような気がします。

 

カボチャの橙色、黒、紫などパンチのあるイメージカラー。

仮装をすることでコスプレとの相性もいい。

おばけ、お菓子、魔女、カボチャ、などのイメージしやすいコンセプト。

ハロウィンが盛り上がることで、いろいろな業種に経済的効果があることが想像できます。

 

うっすい分析ですが、

大人になってからハロウィンを認識したものにとっては、仮装して町を練り歩き乱痴気騒ぎをする…ちょっとピンときません(笑)

 

同じような感覚の人がいたら、ぜひお話をして次回のハロウィンには一緒に参加してみたいものです(笑)

 

 

 

保育の中のハロウィンの位置づけ

ハロウィンがこれだけ市民権を得てくると、

保育の中にもハロウィンを取り入れざるを得なくなってきます。

 

子どもの作品の中にも、

ハロウィンに関する表現が出てくるのも当然です。

 

若い保育士さんは、窓や壁面の装飾にハロウィンをすでに取り入れていることでしょう。

 

当然、

保育なので、ねらいが必要になります。

ハロウィンを取り入れることで、

何をねらうか、子どものどんな育ちを期待するか、そのためにはどのような配慮が必要か、考えなければなりません。

 

保育にハロウィンを取り入れること自体には、異論はありませんが、何をねらうか?などはきちんと説明できる答えを持っているのが理想です。

 

なんでハロウィンなの?

どうしておばけなの?ゾンビなの?

しっかり説明できれば問題ないので、しっかり自分の中で答えられるように準備しておく必要があります。

 

 

 

 

ハロウィンは保育に必要か?

 

ここからは私見になります。

 

個人的には、幼少のころ体験していなかったイベントであるハロウィンについては、あまり思い入れもないので(笑)やる必要はあるのかな?とも思います。

 

でも、実際には、

既存の園では、

かなりの確率でハロウィンに関する取り組みを取り入れている印象があります。

 

繰り返しになりますが、

明確なねらいがあり、

意図して取り入れているのであれば、

きちんとした保育の中の活動として認められることでしょう。

 

気をつけたいのが、

世間で流行していることを、

無条件に保育に取り入れるものではない、ということです。

 

 

 

テレビなどで流行っているものは、わざわざ保育園側が取り入れることで、それを暗に肯定することになります。

 

流行は、一過性のものが多く、保育に適しているのかそうではないものなのか、園側がそれを積極的に取り入れるのかどうなのか、時間に余裕がないまま判定しなければなりません。

 

「どこでもやってるし…」

「子どもが喜ぶから…」

「楽しいからいいのでは…」

 

この程度の認識では、

子育てのプロとして、

少しさみしい気がします。

 

 

 

時代の移り変わり、

流行り廃り、

あると思います。

 

それに敏感であることは、

とても素晴らしいだと思います。

 

 

 

子どもたちにとって、

適しているのか、

そうではないのか、

ある程度のコンセンサスは必要です。

 

ベテランはベテランなりの経験を、

若い人は若い人の感性を、

それぞれ擦り合わせて、

協力して園の運営をしていけるような、

風通しのいい保育現場が理想ですよね。

 

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

【子育て】どうか子どもを怒らないで 親だけが子育てをするのではないです 

日々、

子どもと接していると、

子どもたちは、

生きるエネルギーに満ち溢れていると感じます。

 

泣いて、

怒って、

笑って、

踊って、

ジャンプして、

暴れて、

じっとなんかしていられない。

 

もっと知りたい、

もっと食べたい、

もっと遊びたい、

もっと、もっと、もっと…。

 

 

 

私たち大人には、

子どもがのびのびと、

何かに夢中になって、

よりよい人生を歩んでいけるために、

サポートしていく役割があります。

 

私たち大人が、

誰かの助けを借りて大人になったように、

子どもたちにも、

無償の愛を注いであげてほしい…。

 

大人の助けは、

それだけで、

子どもの生きる力につながります。

 

声をかけるだけで、

気にかけるだけで、

生きる力になります。

 

 

 

だから、

失敗しても怒らないであげてください。

失敗も子どもの生きるヒントになります。

 

間違いから、学びます。

今は気づかなくても、

やがて気づく時が来るかもしれません。

 

なので、

根気よく、

くり返し、

くり返し、

やさしく、

丁寧に、

伝えてください。

 

怒る代わりに、

正しい方法を、

望ましい方法を、

子どもに分かるように

教えてあげてください。

 

その方がずっと、

大人は伝えやすい、

子どもも聞き入れやすい。

 

合理的です。

 

 

 

 

子どもは、

自分のことをみてくれる大人は、

無条件に大好きです。

 

お世話をしてくれる大人を

大好きになります。

 

たくさんの人の、

やさしいきもちにふれると、

みんな自分を大事にしてくれるという、

自己肯定感が育ちます。

 

自分はできる。

ここにいていいんだ。

あんなことがしたい、

こんなこともやりたい。

 

子どもの礎を、

大人が作ってあげられれば、

子どもは自分でも伸びていけます。

 

 

子育ては、

親だけがするものではありません。

周りの大人が、

さまざまな立場、価値観で関わることで、

多くの刺激を受け、

成長していけます。

 

ぜひ、

周りの子どもに、

自分の子どもでもなくても、

やさしい言葉がけや、

さりげない配慮をしていただければ、

子どもたちが元気になり、

この日本は、

もっともっと住みよい、

いい社会になっていくはずです。

 

 

 

子どもたちの明日は、

輝かしくあってほしい。

 

僕はそう思いながら、

今日も、

子どもに声をかけます。

 

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

【保育・子育て・暴力】叩く、蹴る、暴れる、噛む、つねる、物を投げる、暴言どうする?子どもの暴力

子育てでよくある場面

 

子育てをしていると、

さまざまな場面に出くわします。

 

相手も1人の人間です。

子どもとはいえ、

生き物としての本能を備えています。

 

時として、

子どもも暴力的な姿を見せます。

 

また、

子どもが意図的に、

暴力的な行動をしている可能性もあります。

 

 

 

暴力」というと、

何やら大袈裟な気がしますが、

細かく分類してみると、

以下の通りではないでしょうか。

 

  • 叩く、蹴る
  • 暴れる
  • 噛む
  • つねる
  • 物を投げる
  • 暴言

 

 

【叩く、蹴る】

相手を叩く、蹴るのは、

1番目にする暴力かと思います。

 

 

【暴れる】

もっと激しくなると、

寝そべって手足をバタつかせるなど、

手がつけられない…ということもあるでしょう。

 

 

【噛む】

保育をしていると、

「子どもって、人を噛むんでか?」と

驚く保護者の方もいらっしゃいます。

噛む力は強いので、傷がひどくなりがちです。

 

 

【つねる】

これは私見ですが、

「つねる」のは、

本能的ではない気がします。

つまり、つねる子どもを見ると、誰かにつねられたことがあるのでは?という可能性を考えます。

 

 

【物を投げる】

小さい子どもは、

手にした物を何気なく投げることがあります。

丁寧に危険を伝えていく必要があります。

 

 

【暴言】

いわゆる言葉の暴力です。

子どもは聞いたそのまま、

意味もわからず言葉を使うことがあります。

それだけに、

大人は言葉づかいに気を使う必要があります。

 

 

 

暴力の原因を探る

 

本能的な暴力であったとしても、

この現代の日本では、

暴力が認められるコミュニティは、

皆無です。

 

たとえ幼い子どもであっても、

暴力が正当化されることはあってはなりません。

そこは、大人として全力で伝えていかなければならないことです。

 

暴力の原因はいくつか考えられます。

 

  • ストレス
  • 不安
  • 欲求不満
  • されたことを真似ている
  • 大人の気を引く
  • 感情表出の仕方を知らない など

 

ここで重要なのは、

暴力は許されないものだと伝えながら、

その理由を探り、

その思いにはまず寄り添ってやらねばならないということです。

 

子育てをする上で、

ここは非常に重要だと思います。

 

暴力は否定しても、

子ども自身を決して否定してはいけません。

 

そして、

感情的に怒るのは逆効果です。

なぜなら、それも暴力だからです。

 

暴力に暴力で返しても、

何も生まれません。

 

 

大人としての望ましい対応

 

では、どうすればいいのか。

ここが、保育の専門性が問われるところです。

 

怒っている相手に、

頭ごなしに正論を突きつけても、

受け入れられる許容量があるとはおもえません。

 

 

  • 冷静になるまで待つ
  • 暴力の原因を探る
  • ひとまずは共感する
  • 暴力はきっぱり否定する
  • 暴力以外の方法を伝える
  • その場でやり直す
  • 次からどうしたらいいか考える

 

【冷静になるまで待つ】

子どもを追い詰めてはいけません。

自分の気持ちのコントロールどころか、

胸に渦巻く黒い感情が一体何なのか、

きっとそれにすら気づいていません。

まずは、落ち着ける時間と環境を整えましょう。

 

【原因を探り】【その思いに共感する】ことで、子どもは自分の状況を客観視しやすくなり、だんだん落ち着くでしょう。

共感されたことで、この人にならば、思いをぶつけても大丈夫だと安心感を得ます。

 

次の段階で、【暴力を否定】します。

ここはおさえるポイントです。

キッパリと端的に伝えます。

 

そのうえで、【暴力以外の選択肢を提示】します。

 

ここで暴力の原因の予想と、本人の思いの実態が合致しているか確認します。

 

ズレがあった場合は、徐々に擦り合わせて、子どもの想いに寄り添います。

 

そうすることで、暴力以外のどのような手段が有効か、答えに近づけるはずです。

 

最終的には、どうすればよかったのかはっきりしてきたら、一度その方法で実際にここまでのやり取りを【やり直し】ます。

 

例えば、「言葉で相手に伝える」なら、その言葉を実際に言います。正しい振る舞いを、実際に身体で再現することで、記憶の定着を図ります。

 

 

なかなかゴールに辿り着けない…

それでもやはり、

どうしても子どもの思いが理解できなかったり、望ましい代替え案が分からない…。

 

このままだと、

解決しないし、次へ繋がらない事態になります。

 

こうなったら、いっそ、

専門の機関に相談してみましょう。

 

ノウハウが蓄積されているので、

例えば発達検査を受けてみることで、

解決策や対応策、療育を受ける?など手立てが分かるかも知れません。

 

ハードルが高く感じるかもしれませんが、

専門家の意見を一度聞いてみるのは、

とても大事だと思います。

保育士ももちろん相談します。

 

 

 

どうしても解決しない…

 

最後に、

どうしても難しい場合、

すぐにできる対策があります。

 

根気よくくり返し伝えたとしても、理解が難しく、すぐにはできないこともあるでしょう。

 

発達上のむずかしさから、

感情をコントロールしにくいかもしれません。

 

ガマンできそうにない時は、

まずは人から物理的に離れる。

 

そして、

自分の性格や行動パターンを自覚し、

クールダウンできるようにトレーニングする。

 

罰ではなく、

自分と向き合うなどと、

前向きな感じでできることが理想です。

 

 

 

暴力は、

本人も相手も、

悲しい結果しか生み出しません。

 

周りの大人も、

できる限り未然に防ぐことが、

重要だと思います。

 

すぐに解決に至らないことが多いと思います。

 

でも、

子どもも必ず成長していきます。

根気強く向き合っていただき、

信頼できる人を見つけ相談して、

1人で抱え込まないことが大事だと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。